イオラニ宮殿ツアー最終回
TOKYO 5月19日(火)雨のち曇 19℃
HONOLULU 5月18日(月)晴 27℃
<新型コロナウイルス感染者数>
日本 16367名(+27名)
ハワイ 640名(+ 0名)
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何日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日で最終回となるイオラニ宮殿ツアー。
2階の広間からみた外の景色。
王国当時はここから海が見えたそうです。
広間の天井はこんな感じです。
いち早く取り入れられた電灯、電話、エレベーター、水洗トイレ等々この宮殿がいかに豪華で近代的なものであったかがうかがわれます。
ではいよいよリリウオカラニ幽閉の間にご案内します。
一国の女王が過ごす部屋としては決して広い部屋とは言えません。
今はこのキルトが部屋の中央に展示されていますが、
女王が幽閉された当初、最低限の家具しかなく、がらんとしていたようです。
お付きの女性一人と過ごした部屋です。
何もなくて女王には広く感じたかもしれません。
ここで過ごした8ヶ月余。
女王の心中は察するに余ありますが、私のこの部屋の印象は、無。
このキルトには女王の生涯で起こった喜びや悲しみ、誉れ、恥辱が縫いこまれていますが、これをここに展示したのは女王ではないし、女王がそうして欲しいと言い残していたわけでもないと思います。
女王はこの部屋を出た瞬間からここでの幽閉生活は振り返らなかったのではと、そんな気がしました。
そして2階はもう一部屋、カピオラニ王妃の部屋があるのですが、残念ながら写真がないので簡単に説明だけさせていただきます。
カピオラニ王妃はとても優しい方だったと聞いています。
色々な資料を読んでも穏やかな方だったのではという印象です。
王妃のお部屋は深紅のイメージでとても上品だったと記憶しています。
深紅のベッドカバーがそう思わせるのですが、とても上質なシルクなのかサテンなのか。触ってみたなと思った不届き者です。
では最後の部屋、王座の間へ行きましょう。1階へ下ります。
王座の間。
よく見ていただくとわかるのですが、2つの玉座は同じ大きさ同じデザインです。
どちらが王でどちらが王妃の座なのかわかっていないと言われています。
確かにそうですね。
ここでは華やかな式典やダンスパーティーが行われました。
またカラカウア王がサンフランシスコで客死してハワイに亡骸が戻ってきてからの葬儀もこの部屋で行われました。
そしてリリウオカラニ女王はこの部屋で軍事裁判にかけられたのです。
ハワイ王国の栄華と悲しみ。
両方の歴史が刻まれたイオラニ宮殿、王座の間。
ここからは私のとても勝手な妄想です。
この宮殿内には誰もいない、そんな印象を受けます。
ハワイ王国の人は王も側近も誰もいない、みんな出て行ってしまったと。
この宮殿を建てたカラカウア王は療養のためにサンフランシシコに向かった時に、もうここへは帰ってこられないことを知っていたよう気がします。
リリウオカラニ女王は幽閉を解かれこの宮殿を一歩出た時から、二度と王座に戻ることはないと、心のどこかではわかっていたと思うのです。
1893年1月17日、やはりこの日にハワイ王国は終わったのだと私は思います。
それを通りの向こうからひとり、見守っていた人がいます。
カメハメハ大王です。
大王が一代で築いた王国は100年を待たずして終焉を迎えました。
あー、俺が作った王国が終わるのか、、、とひとりでひっそり涙を流していたのではないでしょうか。
ハワイ王国の終焉は「時代」という言葉で片付けてしまうのは簡単ですが、私は大王が建国し8人の王が治めた太平洋の真珠のような島々で起こった幾多のドラマを心から愛しています。
酒浸りだった人、人を殺めてしまった人、兄妹の愛、権力を欲した人、愛する人と結ばれることなくこの世を去った人、家柄での苦しみ、子を亡くした母、恨んだり恨まれたり。
王族であっても人の子。懸命に生きた王、王族。
その全ての王族から感じるのはハワイを愛する心。
私と同じ、美しい島を愛する心を感じる限り、私はハワイ王族を愛し尊敬し、日本の皆さんに発信し続けることをやめられないと思います。
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私と娘ふたり、柄違いで持っています。
私はもちろんフラガール柄。バッグに入っているだけで楽しくなっちゃう!
ハワイのホテルはコーヒーメーカーはあってもお湯は沸かせないので、これは用意していこうと思います。しっかりした作りとコンパクトになる点が◎。
フロランタン大好き!!!
ビーチサンダルも少しヒールがあると格段に歩きやすい&おしゃれ!
次回は私が今月実現できなかったハワイでの計画をこの場を借りて実現したいと思います。エアですが、、、、
またお付き合いください!
mahalo!!
mari