少年王

偉大なる父・カメハメハ大王と高貴な母・ケオプオラニ妃。

年の離れた兄・カメハメハ2世がロンドンで客死してしまい10歳という若さで即位した少年王・カメハメハ3世。

1814年(1813年という説もあります)にハワイ島で生まれたカメハメハ3世。

1819年に大王が亡くなり、その翌年アメリカから宣教師がやってきてハワイは一気に西洋化していくこととなりました。

カメハメハ大王の死を境にハワイが大きく変わる時代を生きた王でした。

今日はカメハメハ3世を取り巻く王族の相関図を作ったので、3世と3人の女性についてお話したいと思います。

ナヒエナエナ王女

インスタではもうお馴染みとなった方ですね、ナヒエナエナ王女。

カメハメハ3世の実の妹です。

二人は幼い頃から許婚だったようです。

ハワイ王国はとても血筋を大事にします。
単に血が繋がっていることよりも、血の高貴さ、純潔さを尊びました。

ふたりの母・ケオプオラニ王妃はカメハメハ大王よりも高貴な血を持つとされていた女性。
その高貴さを欲して大王はケオプオラニ妃を妻として迎え、その子供達を王位に就けました。

その高貴な血をもっと高めるための兄妹の結婚でしたが、一転、キリスト教ではタブー。

兄と妹であり、禁忌と言われても、二人は惹かれ合い、ついに結婚しました。

そして待望のプリンスの誕生。
しかしプリンスは生後数時間で亡くなってしまいました。

プリンスの死の悲しみから立ち直ることなく、ナヒエナエナ王女もあとを追うように数ヶ月後に他界。

ナヒエナエナ王女との結婚が許されず、自殺未遂までしていたこともあるカメハメハ3世。
プリンスの死、ナヒエナエナ王女の死はどれほどの悲しみを王にもたらしたのか計り知れません。

母・ケオプオラニ妃とともにナヒエナエナ王女の眠るラハイナのワイオラ教会のそばで、カメハメハ3世は長く暮らしていたそうです。

カラマ王妃

ナヒエナエナ王女が亡くなって悲嘆にくれていたカメハメハ3世、そんな王が恋に落ちたのはこの方、カラマ王妃でした。

その名の通り、3世の行く道を明るく照らした女性と言えるでしょう。
カラマはハワイ語ではトーチ、松明を意味します。

3世との間に二人の男の子が生まれましたが、一人目は生後間もなく、二人目は生後数ヶ月で亡くなってしまいました。

その後子供に恵まれなかったカラマ王妃がまた王子を腕に抱く日がやってきました。
しかし、、、、

その子は我が子ではなく夫と他の女性との間に生まれた子供でした。

ジェーン・ラヒラヒ・ヤング

ジェーン・ラヒラヒ・ヤング。

この方のお名前を聞いたことのある方は少ないと思います。

ハワイの王族家系図にも彼女の名前はありません。

しかし彼女はカメハメハ大王の実弟・ケリイマイカイを祖父に、大王のハワイ諸島統一の際の立役者・ジョンヤングを父に持つ人です。
彼女の姪はカメハメハ4世と結婚したエマ王妃。

でも彼女は3世のミストレスと記録されています。

ジェーンラヒラヒは亡きナヒエナエナ王女の友人だったひと。
もしかしたら3世は彼女の中にナヒエナエナ王女との思い出を映していたのかも知れませんね。

カメハメハ3世との間に生まれたアルバートは3世の子供の中で一人だけ成人しました。

しかし王位に就くことはありませでした。
なぜ王位に就かなかったのか、就けなかったのは定かではありません。

正式な結婚で生まれた子供ではなかったからなのか、生まれた時にはすでに父が次期王を指名していたからなのか。
真相は歴史の闇に埋もれてしまいました。

アルバートはカメハメハ3世とカラマ王妃のハナイ(養子)として迎えられ、王宮で成長しました。

カメハメハ3世と3人の女性。

3世はそれぞれを愛していたと思います。
そして彼女たちに甘い思い出を抱いていたことでしょう。

今日はカメハメハ3世から3人の女性たちにこの曲を贈りたいと思います。
Sweet Memory。

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今日もお読みいただきありがとうございました。

Mahalo Nui Loa‼︎

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