【100年に一度のパンデミック】
新型コロナウイルス肺炎の世界的な広がりが心配されています。
感染症の世界的な流行はほぼ100年ごとに起きていると言われています。スペイン風邪が大流行したのは1918年。ちょうど100年前です。
ハワイでのスペイン風邪の流行に関してはあまり情報がないので、この時のパンデミックからは免れたのかもしれませんが、ハワイは1300年頃から1778年にクックがサンドイッチ諸島(ハワイ諸島)を発見するまでの間外界との交流がなく、以降西欧人がやってきたことにより感染症もハワイへ持ち込まれ、19世紀には猛威をふるい、それらに対して免疫を持たなかったハワイアンの人口は激減したという歴史があります。
歴史は繰り返します。
今こそ歴史を振り返り、あまり興味がないなという方にも読んでいただければと思い、ハワイで過去に流行した感染症から人々を救った英雄をご紹介したいと思います。
【ダミアン神父とマリアン・コープ】
左の写真はホノルルのダウンタウンで見かけた方も多いと思います。
ダミアン神父像です。ハワイのハンセン病患者を救った聖人。
右の写真はマリアンコープさん。ダミアン神父と同様、ハワイのハンセン病患者のために生涯を捧げた聖人です。
ダミアン神父像はハワイ州政府庁舎前に、マリアン尼像はケワロベイジンパークにあります。
ハンセン病は1800年代前半にハワイ諸島に蔓延し。1865年、モロカイ島カラウパパを患者を隔離する土地としました。以来103年間でカラウパパへ送られた患者数は8000人。一度ここへ送られると二度と故郷へ帰ることはかないません。
ダミアン神父は1873年から自らもハンセン病にかかり亡くなる1889年までをカラウパパで過ごしました。マリアン尼は1884年にモロカイ島入り。ダミアン神父を看取り、1918年にカラウパパで生涯を閉じました。
劣悪な環境にいた患者の環境改善から始まり手当をし心も癒し続けたおふたりです。
ハワイのハンセン病を調べていくとひとりの日本人医師の名前が出てきます。後藤昌直医師。ダミアン神父は罹患してからは後藤医師の治療を強く望んだと言います。
またカラカウア王が世界一周の旅で日本を訪れた際には日本のハンセン病施設を視察しています。
当時の日本はハンセン病の治療において先進でありハワイからも注目されていたと思うと誇らしいですね。
【ラハイナの英雄】
美しいラハイナのフロントストリートに建つボールドウィンホーム。
医師であり、宣教師であるドワイト・ボールドウィン。彼がラハイナにやってきたのは1835年のこと。
1853年、ハワイで天然痘が流行。オアフ島での死者は数千人。マウイ島での死者は200人ほど。
サンフランシスコからの船の船員がハワイに持ち込んだと病気と言われています。
ボールウィンはいち早くラハイナを隔離し、ワクチンを与え、マウイだけでなくモロカイ島、ラナイ島にも同じ対策を取りました。
ボールドウィン医師に救われたマウイ。数字だけをみてもいかにボールドウィンの功績が大きかったかが分かりますね。
ボールドウィンホームは建物内を見学することができ、当時の生活の様子をうかがい知ることができますのでラハイナ を訪れた時にはぜひお立ち寄りください。
この他にも1803年、カメハメハ大王がカウアイ島を攻撃した時にはペストが流行し、攻撃を断念したということもありました。
【明けない夜はない】
人類の歴史はウィルスとの戦いの歴史であるとも言われています。
人生100年時代、今回のような事態が100年ごとに起こることだとすれば、人生で1度は経験することを避けられないのかもしれません。
しかしいまこうして私たちは生きている、ということは人類がこれまでの幾多のウィルスとの戦いに勝利し続けてきた証に他ならないのです。
明けない夜はありません。
近い将来、本当にすぐ、人類は今回の新型ウィルスの封じ込めに成功し、安心して生活できる世界に、心踊らせながら飛行機に乗りハワイへと出かけられる世の中になると信じています。
mari